企業が競争優位を得るには,社員一人一人の知識を集めて企業全体の創造性を高める必要があります。それをナレッジ・マネジメントといいます。本章では,次の事項を学習します。
ナレッジ・マネジメント,組織の創造性,知識の共有化,データ,情報,知識,知恵,個人知,組織知,形式知,暗黙知,SECIモデル,共同化,表出化,連結化,内面化,知識資産,組織文化,データマイニング,エキスパートシステム,グループウェア,文書管理
ナレッジ・マネジメント(Knowledge Management:KM)とは,文字通りには「知識管理」のことですが,社員教育をして社員の知識を向上するとか,社員の知識を測定して評価をしようということではありません。社員個人の持っている知識を企業全体の知識に共有化して,企業での創造性を向上させるための経営技法です。
Aさんは,ソフトウェア製品の営業をしています。これまでは製造業を顧客にしていたのですが,こんど金融業界での市場開拓をしたいと思っています。ところが,金融業界でこのソフトを有効に活用できる分野をあまり知りません。それで,グループウェアの電子掲示板に質問を掲げました。そうしたら,以前にそのような経験をしたBさんから,適用業務のリストをいただきました。Cさんからは適切な図書を紹介してもらいました。Dさんからは,銀行でそのような分野の仕事をしている友人を紹介しようとの連絡を受けました・・・
Aさんは,新しい顧客をまわり,そこで見聞した情報を社内のWebページに掲げることにしました。「○○の機能がないから買わない」といわれた記事を技術部が読んで,それを強化した新製品を開発しました。「△△の機能を持つ機器があれば便利なのだが」と洩らしていたことを見て,ハードウェア部門の担当者が納入に成功しました。顧客を訪問する途中で格安の貸し事務所があるとの記事を総務部が見て,そこに営業所を出すことにしました・・・
E社では,製品のプリンタで「トナーを入れ替えるときに手が汚れる」との苦情があることを社内Webページに掲げたところ,「密閉型のカセットにしよう」「そうすると重量が大きくなり,それを引き出すのが大変だ」「それならカセット下部にローラーをつければよいがすると機構が複雑になる」「カセットを斜めにして手前を低くすれば」・・・という意見が次々と得られました。それにより,単にトナー部分だけではなく全体的な改善をしたプリンタを作ることができました。
社員個人の知識には限界がありますが,それらを集めると大きな力になります。それを組織の創造性といいます。組織の創造性を向上させるには,みんなが一人のために,一人はみんなのためにという知識の共有化を図ることが必要です。
組織の創造性や知識の共有化を,上の例のように個人の自発的な行動にだけ頼っていたのでは限界があります。企業全体として知識の共有化が重要なことを認識する運動,組織的に知識を収集して必要に応じて容易に取り出せるように整理しておく体制,それに効果がある情報技術の導入などが必要になります。これらを総合的に進めるのがナレッジ・マネジメントなのです。
改まって「知識とは何か」などといわれると,哲学のような難しいことになってしまいますが,ここではそれにはあまり深入りしないことにします。
知識と似たような言葉に,データ,情報,知恵などがあります。これらを厳密に区分するのは困難ですし,混同して用いられることもありますが,おおまかには次のようになりましょう。
企業は,個人である社員の集合体でもありますし,部や課などの組織の集合体であり企業そのものが組織です。個人は,経験や学習により多くの知識を持っています。人脈なども立派な知識です。教養や趣味は,一見,企業とは関係がないように見えますが,思わぬときに役立つものです。また企業には,特許,ノウハウ,技術,顧客リストなど組織としての知識があります。
ボラニ-は,知識を形式知と暗黙知に分類しました。形式知とは,文章などにより表現されている知識のことです。仕様書,図面,資料などがそれにあたります。これらの知識は,教えることができますし,それを教わった人が同じ知識を持つことができます。それに対して,個人の経験や教養などは個人の頭に入っているだけで,他人がそれを簡単に知ることはできません。また,組織文化や慣例などのように,みんなが知っているのに文章として明示されていない知識もあります。このような知識を暗黙知といいます。
野中らによれば,組織での知識の取得は,暗黙知と形式知の相互変換により行なわれ,それをスパイラル的に進めることによって,組織の知識が向上するとして,SECIモデルを示しています。ナレッジ・マネジメントとは,このSECIのサイクルを効果的に行なう方法論であるともいえます。
ナレッジ・マネジメントは経営の仕方や考え方ですので,情報技術だけではありませんし,限定されたソフトウェアでもありません。しかし,ナレッジ・マネジメントを効果的に実現するには,情報技術は不可欠ですし,利用できるソフトウェアも多くあります。☆
形式知では文章の形式になっている知識が多いし,それを伝えたり共有するには,グループウェアの電子掲示板や社内Webページが多く用いられています。グループウェアとナレッジ・マネジメントとを厳密に区分することは実際的ではありませんが,両者には次の特徴があると考えられます。
電子掲示板 | ナレッジ・マネジメント | |
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情報の入手先 | 社内個人が入力する文書情報 | 図書など社外資料や基幹系からの情報も |
情報入力の方法 | 個人の判断に任せる | ルールを作り提供を促す |
蓄積情報の管理 | 特に管理を重視しない | 体系化して検索を重視 |
情報の伝達 | 自主的に取りに行く | 送りつけることもある |
仕様書や図面などの社内文書,あるいは図書などを管理することを文書管理といいます。これは以前から行なわれていましたが,ナレッジ・マネジメントでは,文書管理をさらに広い観点で運営することが望まれます。そのためには図書館の司書のような情報司書が期待されます。
ナレッジ・マネジメントとして活用するには,単に文書が入っているだけでは,必要なときに必要な知識を得ることはできません。適切なインデクスをつけたり,関連する知識にリンクしてあることが必要です。また,検索を容易にするためには,全文検索ソフトや元の文章を要約するソフトなどがあると効果的です。
推論や学習など人間の思考に固有な分野をコンピュータに行なわせる研究分野を人工知能(AI:Artificial Intelligence)といいますが,エキスパートシステム(Expart System)は,AIを応用したシステムです。比較的形式化しやすい知識を実際のシステムとして構築するのに適しています。
医者,法律家,技術者などの専門家が持つ専門的な知識を「もし~ならば~だ」というような形式で知識ベースに格納し,それを,三段論法などの論理を処理する推論エンジンにより,判断を行なわせるシステムです。専門家の知識を整理することにより,多くの人がその知識を利用できるようにすることを目的としています。
このシステムは,1980年代に医療診断や装置トラブル対策などの分野で普及し,現在でも漢字変換,検索エンジン,言語翻訳などに広く利用されています。しかし,オフィス業務での一般なアプリケーションシステムではあまり利用されていません。
データマイニングは知識を獲得するためのツールです。POSなどで収集したデータを多様な観点で分析することにより,前述した「ビールと紙オムツ」などのように,気づかなかった法則を発見したり,仮定した法則が実際に存在するかどうかを検証する手法です。
データマインイングは,コンピュータによる統計的な処理と人間の経験との協同により知識を高める手段であり,小売業での顧客のパターンに合わせたダイレクトメールの配布,生命保険会社やクレジット会社での審査など多様な分野で活用されています。
知識の共有化をするには,知識を持っている人が知識を公開しなければなりません。それには,次のような阻害要因があります。
また,知識を受け取る側の問題があります。
それらの阻害要因を解決するには,次のような手段が必要になります。☆
知識の共有化,組織の創造性が重要だということを全社的に認識する必要があります。そして,知識を提供する人を評価するしくみも必要です。また,何を提供してよいかが認識されていない当初の段階では,業務報告などの日常的なことから始める必要もあります。
組織文化を変えるには全社的な取り組みが必要ですから,経営者が強力なリーダーシップを持って推進することが重要ですし,そのための組織体制も必要です。また,情報技術を円滑に活用するにも,組織体制が必要です。ナレッジ・マネジメントを統率する役員をCKO(Chief Knowledge Officer),この分野の専門家をKE(Knowledge Engineer)といいます。