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スーパーコンピュータとは、演算処理速度がその時代の一般的なコンピュータより極めて高速なコンピュータのことである。気象予測、原子核、天文学、金融工学など、大規模な数値解析を必要とする研究に利用される。その性能は、1秒間で処理される浮動小数点演算の回数 FLOPS で表示され、PFLOPS(ペタ=1015、10P=京)のオーダーに達している。
スーパーコンピュータの処理速度の推移(赤は国産機)
出典:「参考URL」の記事から採録・図表化した
コンピュータの性能は急激に向上するため、スーパーコンピュータの評価基準を「高速」としたのでは、最初のスーパーコンピュータを特定するのは困難である。IBMは、同社の「Stretch(IBM 7030)」(1954年)をあげている(参照:ITmedia「IBM、スーパーコンピュータ「Stretch」誕生50周年」)が、一般にはCDC社の「CDC6600」あるいはイリノイ大学の「ILLIAC IV」を最初のスーパーコンピュータだとしている。
1976年 クレイリサーチは「CRAY-1」を開発した。
最初のベクトル型スーパーコンピュータ。クレイはCDCを退職して、スーパーコンピュータに特化したクレイリサーチ社を設立。その最初の製品がCRAY-1である。画期的な方法により高速化を実現した。
・ベクトル型CPUの開発
・配線の短距離化による高速化を図るために筺体を円筒形にした。
・高速化のため高電圧にすると発熱が大きくなる。その冷却のために液体フレオンを使用した。
これらのために高額になり、初期の販売価格は800万ドルもした(本体の台座は座れるようになっており、「世界で最も高いイス」といわれた)が、80台以上販売された。
CRAYシリーズは続々と新機種が開発され、CRAYはスーパーコンピュータの代名詞になるほどであった。その後、日本メーカーやIBMとの競争で地位は低下したが、2009年には「Jaguar」で世界最高速を実現した。
1981年、通商産業省(現経済産業省)は「科学技術用高速計算システムプロジェクト(スーパーコンピュータプロジェクト)」を開始した。最新のコンピュータ技術を用いて、1989年までに10GFLOPSのスーパーコンピュータを製作、運転、評価を行い、その技術を確立することを目標としている。
参照:中村吉明、渡辺千匁「通産省の研究開発プロジェクトのマネジメントと効果 スーバーコンピュータプロジエクトのケースタディ」
https://dspace.jaist.ac.jp/dspace/bitstream/10119/5730/1/1999-1B07.pdf
当時の日本のコンピュータメーカーは、既に国際的競争力をもっていた。そして、スーパーコンピュータの研究により得られる先進的技術は通常の商業機への適用にも重要だと認識しており、既にスーパーコンピュータ開発を進めていたのである。が行われた。
1982年には、富士通「FACOM VP-100/200」、日立「HITAC S-810」、1983年にはNEC「SX-1,SX-2」が開発された。これらが日本での本格的なスーパーコンピュータの最初だといえる。
参照:三輪 修「私のコンピュータ開発史 FACOM VP」
http://homepage2.nifty.com/Miwa/10_FACOM%20VP/index.html
1980年代後半になると、国産スーパーコンピュータは、世界でも最高の水準に達した。
米国は、軍事面や産業面での競争優位のためにスーパーコンピュータを重視してきたことや、コンピュータのリーダーとしての面目から、NEC・日立・富士通が世界最強機を開発するに伴い、米国は、日本スーパーコンピュータの導入キャンセルやアンチダンピング課税などを行った。このことからも、スーパーコンピュータの国家戦略での重要性や日本が脅威だったことがうかがえる。
参照:Wikipedia「日米スパコン貿易摩擦」
http://ja.wikipedia.org/wiki/日米スパコン貿易摩擦
米国は、1995年からエネルギー省を中心に「ASCIプロジェクト」を推進し、メーカーを支援している。それが功を奏して、
1997年 Intel 「ASCI Red」
2000年 IBM「ASCI White」
が2002年にNECの「地球シミュレータ」が出現するまで世界最速となった。
NECの開発したスーパーコンピュータ「地球シミュレータ」は、2002年に、海洋研究開発機構 地球シミュレータ研究開発センター(http://www.jamstec.go.jp/esc/)で稼働開始した。主に地球温暖化予測や地球内部変動の分析などに利用されている。ベクトル型スーパーコンピュータであり、8個のプロセッサを搭載したノードが640台接続されている。36TFLOPSの処理速度は、2002年6月から2004年6月にIBMの「Blue Gene」が登場するまでの間、TOP500で1位であった。
このように、「地球シミュレータ」は国産スーパーコンピュータが健在であることを示すものではあるが、手放しで喜べない問題を含んでいる。
世界の趨勢は、1990年代からスカラー型に移行しており、この地球シミュレータは「最期の?」ベクトル型スーパコンピュータになってしまった。スカラー型の場合、市販のパソコン用CPUを用いるので安価であり、一般のニーズに合わせて性能向上が図られる。それに対してベクトル型のCPUは、スーパーコンピュータ専用CPUを独自に開発しなければならない。また、大勢がスカラー型であれば、ソフトウェアもそれに合わせた技術が発展するであろう。
現在、ベクトル型に力を入れている有力メーカーはNECだけである。その環境で、今後とも競争力を維持するのは困難であろう。また、スカラー型での国産スーパーコンピュータは、1996年の日立「CP-PACS」以降、最高速機は開発されず、競争力は低下してしまっていた。
国産スーパーコンピュータ全盛期の1996年11月を対象に、2010年11月にTOP500の資料から作成した、上位10機種および50位までの国産機と、500機種のメーカー別のシェアを掲げる。この約15年の間に、大きな変化が起こったことがわかる。
1996年11月 | 2010年11月 |
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このような状況を打破するために、文部科学省は2005年に「次世代スーパーコンピュータプロジェクト」を立ち上げた。「2012年までに世界最速10P(=1京)FLOPSのスーパーコンピュータ」を目標とし「京速コンピュータ」と名付けられた。NEC・日立・富士通3社によるベクトル型とスカラー型の複合型にする計画であった。
ところが「2011年に20PFLOPS」のIBM Sequoiaが発表されたこと、NECと日立が同プロジェクトから撤退して富士通と理化学研究所がスカラー型にすることなど計画の変更が必要になった。
そして、2009年の民主党の「事業仕分け」で、「なぜ1番でないといけないのか、2番ではダメなのか」(蓮舫議員)の発言などにより当プロジェクトは事実上の凍結と判定された。科学者などの猛反対により復活したが、予算は縮小され、「世界最速を目指すのではない。むしろ利用面の発展を目標にする」こととなった。
しかし、その後の努力により、2011年6月に、8.162PFLOPSを実現し7年ぶりに世界最速の座を奪還した。さらに2011年11月には10.51PFLOPSになり、「2011年に20PFLOPS」には達しなかったが、名称の「京」=1万兆=10P(ペタ)の速度に到達した。
参照:「京速コンピュータ」
スーパーコンピュータ「京」の構成イメージと筐体内部
出典:左図富士通「次世代スーパーコンピュータ」、
右図理化学研究所・富士通「京速コンピュータ「京」が世界1位に」
2000年代後半になると、スーパーコンピュータは高速だけがよいのではないとして、省エネ性能を競う「グリーン500」も発表されるようになった。電力1W(ワット)あたりの計算回数、すなわち[MFLOPS/W]が評価尺度になる。
この評価では、国産スーパーコンピュータは上位を占めて(2010年)
1 米・IBMワトソン研究所 ブルージーンQ(試作機) 1684[MFLOPS/W]
2 日・国立天文台 GRAPE-DR 1448
3 日・東京工業大学 TSUBAME 2.0 958
4 米・国立スーパーコンピュータ応用研究所試作機 933
5 日・理化学研究所 京(2010年開発中) 828
TSUBAME
出典:東京工業大学 TSUBAME計算サービス 「TSUBAMEとは」
スーパーコンピュータ競争は、今後も激化するであろう。「京」も「TSUBAME」も短期間で首位の座を明け渡すことになるのは必然である。それに伴い本ページを改訂するのは面倒(!)なので、国産機がめでたく首位になったこの時点で終了する。
発表時 | 国 | メーカー | 機名 |
2011年 6月 | 日本 | 富士通 | 京 |
2012年 6月 | 米国 | IBM | セコイア |
2012年11月 | 米国 | Cray | タイタン |
2013年 6月 | 中国 | NUDT | 天河二号 |
2016年 6月 | 中国 | NRCPC | 神威・太湖之光 |
2018年 6月 | 米国 | IBM | サミット |
2020年 6月 | 日本 | 富士通 | 富岳 |
2022年 6月 | 米国 | HPE | Frontier |