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OSの歴史(概要)


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OSとは

OS(Operating System)とは、コンピュータのハードウェアやソフトウェア(データも含む)を管理するソフトウェアであり、人間とコンピュータの間に存在するインタフェースを実現するソフトウェアでもある。パソコンでの代表的なOSには Windows や MacOS などがあるが、ここでは汎用コンピュータでのOSを対象にする。

当然、現在のオープン系OSは汎用コンピュータOSの発展の上に存在するのであるが、歴史的背景により、異なる性格をもつ面もある。
 オープン系OSが個々のメーカーが必要に応じて発展させてきたが、汎用コンピュータOSが発展した1960年代中頃から1970年代までは、IBMがほぼ独占的なリーダーであった。IBMは、マイクロソフトやアップルなどと比較して、体系的整然性を重視する文化があり、しかも環境変化が現在と比較すればゆっくりとしていたため、「OS」が明確に定義されていた。
 オープン系OSでは、初心者を含む多様な利用者が多様な処理を行うことを前提としているので、「使いやすさ」が最大の目的になっている。汎用コンピュータ時代では、一定のレベルの知識をもつ技術者が利用し、定例的・定型的な業務処理が多く、その効率性が重視された。  オープン系ではサーバ以外では1台のコンピュータを同時に多数の人が使うことはないが、汎用コンピュータでは1台のコンピュータを多目的の多数のジョブを同時に処理するのが通常である。すなわち、現在の多数のサーバを1台のコンピュータで処理するためのOSが必要だったのである。


汎用コンピュータ用OS

汎用コンピュータ分野では、IBMが寡占的なシェアをもっており、他メーカーもIBM互換路線をとっていた。それで、ここではIBMのOSに限定する。

A:黎明期のOS

コンピュータが出現した当時から、定例的な連続処理や類似した処理をまとめると便利であることが認識されており、それが発展してOSになった。当時は個々の機種ごとにOSが提供されていた。

A:OS/360

本格的なOSが確立したのは、1964年にIBMがシステム360のために開発したOS/360である。シリーズの小型機から大型機まで一貫しており、既にマルチタスク機能、仮想記憶機能、TSS機能などをもっていた。
 OS/360は、他社コンピュータにも大きな影響を与え、それに類したOSを搭載するようになった。

A:MVS

IBMは、1974年にMVSを発表した。OS/360を多重仮想記憶環境への適用、その後の追加機能の整理拡充したものである。富士通のMSP、日立のVOS3など、MVS互換OSが業界標準になり、汎用コンピュータ全盛時代の代表的OSである。
 MVSにより、汎用コンピュータOSはほぼ完成の域に達した。その後も改良・拡充されるが大きな変化はなく、現在の汎用コンピュータ用OSも、基本的にはMVSの延長であるといえる。

OSを利用してコンピュータに処理をさせるには、人間がOSに指示を与える必要がある。例えばMVSでは、バッチ処理ではJCL、TSSではCLISTが用いられていた(参照:「JCL/CLIST」)。


ミニコンピュータ用OS:UNIX

1960年代からミニコンピュータが出現した。ミニコンピュータOSで最もポピュラーなのがUNIXである。

B:UNIXの誕生

UNIXは、1969年にベル研究所で開発された。1973年に基本部分がC言語により書き直され移植性が向上し、しかも、ソースコード頒布されたので、多機種で用いられるようになった。

B:多様なUNIXの出現UNIXの統合

ソースコードが公開されていたため、多数の団体が独自にUNIXを発展させた。そのなかで有名なのがBSD UNIXである。UNIXの商品化に伴い、AT&TとBSDとの間で著作権をめぐる対立が深刻になった。また、それが、UIとOSFなどのUNIX開発推進団体での対立になり長期化した。それが解決して、一つのUNIXになったのは、1990年代後半である。
 現在では、UNIXの著作権はノベルにあるが、UNIXのソースコードは公開されている(参照:B:UNIXの著作権)。

UNIXは移植性が高いことから、現在では、汎用コンピュータからパソコンにいたるまで、広い機種で用いられている。特に、汎用コンピュータやミニコンピュータの機能がサーバ用高機能パソコン、特定用途の高機能パソコンで代替されており、UNIXはそれらのOSとして普及している。しかし、著作権などの問題から、オープンソースであるLinuxに移行する傾向がある。

Linux

「Linux」というとき、UNIX系OSのカーネル(kernel)のことを指す場合と、OSとして実装するためのソフトウェア群、機能を拡大するためのソフトウェア群をパッケージ化したものを指す場合がある。ここでは前者をLinux、後者をLinuxディストリビューションという(混同することもある)。
カーネルとしてのLinuxは、GNUでのOSS(参照:「オープンソースソフトウェア」)としてソースコードが公開されている。無料で入手できる場合が多い。Linuxの著作権は、多数のLinux開発者が自分の書いたコードに対する著作権を保有している。
Linuxディストリビューションでは、Debian GNU/Linuxのように、フリーソフトだけを集め無料提供するものもあるし、Red Hat Linuxのように、ライセンスは無料だが、サポートが有料の商用のものもあるし、商品としての有料ソフトウェアを同梱したものなど多様である。

Linuxは、OSSの特徴を生かして、世界中のプログラマや企業が参画して改善・拡張が行われてきた。また、導入・運用コストが安いこと、特定メーカーの独占を回避できること、移植性が高いことなどの理由により急速な普及をしており、代表的OSの一つになっている。

Linuxは、1991年に、ヘルシンキ大学の学生リーナス・トーバルズ(Linus Benedict Torvalds)により開発された。
トーバルズは、当初、個人用のOSを作りたいと思っていた。当時、教育用のUNIX系OSとして、Minixが用いられていたが、機能が乏しかった。AT&TやBSDのUNIXは、著作権のために、勝手に改変するのに手続きが面倒だった。それで、最初から自分で作ろうと考えた。
最初に、大学のサーバーに公表したLinux(Version 0.01)のソースコードは約1万行で、機能も性能も不十分なものだったという(2008年の版では600万行を超える)。

当時、既にGNU Projectは活動していたのだが、肝心のOSカーネルを開発しておらず、UNIXベンダはGNU活動に消極的だった。Linuxは、すべてトーバルズが独自に開発したのであり、本人がGNU活動をしていたので好都合である。すぐに多数の参加があり急速に発展した。しかも、当時は32ビットパソコンが安価になり普及し始めており、それに自分たちで勝手に改造できるOSを搭載しようと期待する人たちが多かったことも、この動きを加速した。
 そのような動きのなかで、有志はメーリングリストKLML(Linux Kernel Mailing List)を組織した。これがLinux開発の拠点となった。

1997年には、エリック・レイモンド(Eric Raymond)は、「伽藍とバザール」を著してLinuxの開発の有効性を示した。またその頃から、IBM、HP、インテルなど企業の専門プログラマがLinux活動に参加するようになる。このように、Linuxは市民権を高めていく。

2000年代になると、政府・自治体でのLinux採用が進んだ。欧州ではマイクロソフトへの反発もあり、多くの公的組織が積極的にLinuxを採用するようになった。米国ではベンダの圧力もあり中立の立場に立っているが、中立であること自体がLinux推進でもある。日本では、電子政府・電子自治体でOSS推進政策をとっており、Linux採用がその主体になっている。


パソコン用OSの歴史

現在のパソコンは、大多数がマイクロソフトのWindowsを搭載しているので、ここでは、マイクロソフトOSを中心にする。

C:MS-DOS

最初のパソコン用OSでは、デジタル・リサーチが1973年に開発したCP/Mが有名である。また、アップルは、1977年にApple-DOSを開発している。
 1981年にマイクロソフトはIBMのためにPC-DOSを開発、その自社ブランドとしてMS-DOSを発売した。
 当時、CP/MとMS-DOSの競争があったが、IBM-PC、IBM-PC/ATおよびその互換機が普及したため、MS-DOSが勝利した。その後、1980年代を通して、MS-DOSがパソコン用OSの業界標準となった。

C:Windows 1.0

1985年にマイクロソフトはWindows 1.0を発表した。GUI環境のOSである。GUI環境OSとしては、既にアップルが1983年にLisa用のOSで実現しており、それに比べてWindows 1.0は貧弱であった。それで、Windows 1.0に移行するよりもMS-DOSをそのまま利用するほうが多かった。

C:DOS/VとWindows 3.1

日本IBMが1990年に発表したDOS/Vは、漢字表示をソフトウェアで実現するもので、それまでの各社独自のROM利用方式を一掃する画期的な出来事である。
 1993年のWindows 3.1では、GUI環境での実用的なOSであるだけでなく、DOS/Vを取り込むことにより、国内パソコンでの標準的OSになった。

C:Windows 95

1995年のWindows 95は、GUIでの使いやすさが向上しただけでなく、Internet Explorer が同梱されており、インターネット利用が急速に普及した。ブームが起こり「パソコン=Windows 95」のような状況になった。