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機械式計算機


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機械式計算機とは

機械式計算機、手動計算機、手回し計算機ともいう。日本では、タイガー計算器が独占的シェアをもっていたので、「タイガー」が機械式計算機の一般用語にすらなっていた。
 下図のような構成になっており、置換レバーに数値をセットし、置数レバーを回すと、計算結果が右ダイヤルに表示するような仕組みである。加減ならばソロバンのほうが手軽だが、乗除算では計算違いが少なく高速に計算できる。
 日本では1920年代から始まり、1960年代の初頭頃まで広く使われていたが、電動計算機や電卓の出現により、それらに置き換えられてしまった。


機械式計算機(タイガー計算器)の各部名称 (拡大図)
出典: タイガー「タイガー手廻計算器使用法」

機械式計算機の操作方法

加算(123+45=168)

  1. 置数レバーを動かして右詰めに「123」とセットする。表示部に「123」と表示される。
  2. クランクハンドルを右(+)方向に1回転する。右ダイヤルが「123」となる。
  3. 置数レバーを「45」に置き換え、右(+)方向に1回転する。右ダイヤルが「168」となる。

減算のときは、3のステップの「右(+)方向」を「左(-)方向」にすればよい。

乗算(123×45=5535)

  1. 置数レバーに右詰めに「123」とセットする。
  2. クランクハンドルを右方向に5回転する。左ダイヤルが5になる(実務的には、左ダイヤルが5になるまで、クランクハンドルを右回しする)。
  3. 桁送りレバーを用いて、キャレージを1桁右(インジケーターが左ダイヤル第2位を指す位置)に動かす。
  4. クランクハンドルを右方向に4回転する。左ダイヤルが45になり、右ダイヤルが5535になる。

除法

説明が複雑になるので割愛する。乗算の右回しを左回しにすることにより行うのであるが、引きすぎて負になるとチンと音がするので、右に1回戻す操作をする。この音により操作者のイラつき度がわかったものである。
 小数点数の除算は位取りが難解になる。それを無視して計算して暗算で位取りをするほうが現実的だった。
 四則演算を組み合わせて平方根の計算をすることもできた(近辺の数を二乗して探すほうが早かったが)。


機械式計算機の歴史

17世紀:機械式計算機前史

  • 1642年 パスカル「Pascaline」
    パスカル(Blaise Pascal)は、歯車の組合せで加減算ができる最初の計算機を発明。
  • 1671年 ライプニッツ「Step Reckoner」
    ライプニッツ(Gottfried von Leibniz)は、円筒状のドラム(cylindrical drum)を用いて歯車機構を改善した十進機構の計算機を発明。

パスカル「Pascaline」1642 (拡大図)

ライプニッツ「Step Reckoner」1671 (拡大図)

cylindrical drum機構
出典:左・中図 Wikipedia「機械式卓上計算機」、 右図 James Redin「A Brief History of Calculators」

19世紀:機械式計算機の実用化

  • 1820年 トーマス「Arithmometer」
    フランス人Charles Xavier Thomas de Colmarが開発した「Arithmometer」が最初の量産化された計算機だといわれている。ライブニッツのシリンドリカル・ドラムを用いたこの計算機は、加算も減算も同一方向に回すのが特徴であり、この系統をトーマス型計算機という。
  • 1875年 ボールドウィン「Baldwin Principle」
  • 1878年 オドネル「Original-Odhner」
    米国人Frank Stephen Baldwinとロシア在住のスウェーデン人Willgodt Theophil Odhnerは、独立に、Pinwheel機構(内容省略)を考案して、それを用いた計算機を開発した。トーマス型計算機のシリンドリカル・ドラムによるStepped Drum機構をPinwheel機構にすることにより、全体のサイズや重量を小さくすることができる。また、歯車の組み合わせを工夫して、加算を右回し、減算を左回しで行う方式にした。
     オドネルは、その設計を公表したため、この系列による計算機が広まった。日本で作られた計算機はほとんどオドネル型となる。

トーマス「Arithmometer」1820 (拡大図)

オドネル「Original-Odhner」1878 (拡大図)
出典: Wikipedia「機械式卓上計算機」

日本での機械式計算機の黎明期

  • 1902年 矢頭良一「自働算盤」
    矢頭良一は、オドネルの計算機を参考にして算盤の2-5進法を取り入れた計算機を発明した。これが国産初の計算機だとされている。1903年に特許を得たのだが、200台程度製造販売した段階で、彼の興味が飛行機に移ってしまった。
  • 1923年 大本寅治郎「タイガー計算器」
    オドネル型計算機を参考にして「虎印計算器」を開発。その後「タイガー計算器」と改称(舶来品らしく命名したという)。

タイガー計算器による全盛時代

  • 1923年 関東大震災
    再建事業のために、大量の計算機が必要になったが、国産機は未だ不安定だったため、オドナー計算機を輸入。
  • 1932年頃 計算機が国産化奨励の対象に
  • 1928年 日本計算器設立
  • 1934年 太陽計算器設立
  • 1937年 事務機械の輸入禁止
    これら政策により、国産計算機が急増。新規参入もあったが、タイガー計算機が他社を圧倒。
  • 1941年 太平洋戦争勃発。軍需工場への転換
  • 1945年 終戦。タイガー生産開始
    日本計算器や太陽計算機も再開、内田洋行、東芝事務機、パイロット事務機など新規参入もあったが、タイガーの独占的シェアは変わらず、他社は1960年代までに姿を消した。タイガーは、生産終了の1974年までに累計48万台を生産した。

機械式計算機の凋落

戦後、米国ではモンローやフリーデンなどの電動式計算機が普及するようになり、機械式計算機は次第に減少していった。日本でも1960年代になると、それらの電動式計算機が輸入されるようになった。さらには、1960年代中頃から電子式計算機(電卓)が出現した。それにより、1960年代末には機械式計算機は駆逐され、1974年にはタイガーも機械式計算機の製造を終了した。